暗号通貨(資産)の雑記帳

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西遊記がなぜ面白いのか

西遊記がなぜ面白いのか。

このWikipedia先生が書いてある西遊記の最後を読んでもらいたい。

 

 

旅の終盤、とうとう天竺にたどり着いた一行。底のない渡し舟で川を渡る。そのとき、上流から三蔵の抜け殻である死体が流れてきて、三蔵は凡体を脱することができたと喜ぶ。その後釈迦と謁見、経典を授かるもそれは無字の経典だった。新たに字のある経典を授かるが、旅の日数と経典の数が八つ合わないため、一行は雲に乗せられて8日間のうちに東土から西天へ帰ってくるように命じられる。観世音菩薩が三蔵の災難簿を見るとあと一難足りないとある。そこで雲から落とされる一行。通天河に落ちた後、経典を乾かすが紙が岩にくっつき、1字はがれてしまう。長安に戻って太宗皇帝と謁見する一行。経典を渡し、雁塔寺に納めると八大金剛が現れて一行を連れ去っていった。その後西天にて釈迦に称賛の言葉をかけられ、ついに五人は罪を許され、三蔵は旃檀功徳仏(せんだんくどくぶつ)、悟空は闘戦勝仏(とうせんしょうぶつ)、八戒は浄壇使者(じょうだんししゃ)、悟浄は金身羅漢(こんしんらかん)、玉龍は八部天竜(はちぶてんりゅう)となる。悟空の頭からはいつの間にか緊箍の輪が消えていた。

 

 

知らなかった

 

西遊記のおもしろさは、三蔵法師一行が経典を取りに行く過程で発生する事件事故、悟空がお釈迦様の手のひらでくるくると周ってる様を、体験記として映像文章で起伏を付けて記されていたから面白いのであって

 

経典を取りに行った後の三蔵法師一行のエピソードはいわばピロートークでしかない。

 

 

戯作といえど伝えたいことがあるのをそのまま書いてしまったら民衆に伝わりづらいが、物語の中に実はここが伝えたいんだというのとか、三蔵一行の辿った道程の歴史的背景ををこっそり忍ばせておくのが著者としては至極の瞬間ではなかろうか。

 

 

これがTwitterでは表現できない。なぜ僕が活字中毒なのかという所にもつながるんですが、行間や伏線の回収と言うのが文字数制限で強制的に段落を付けられてしまうと物語として単調になってしまい、盛り上げようとするとどうしても言葉が感情的な表現が多くなってしまうので、どれだけ権威のある人がとてつもなく素晴らしい発表をTwitterで簡便にtweetしても、それならもう本を読むよとなる。

なので暗号通貨界隈のRTの多いツイートと言うのは、言葉ではなくしっかりとした文章で書いてあるであろうことが想像できるそのサイトやブログが多くなる。

 

 

 

で、なぜ西遊記は面白いのか

 

いや

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夏目雅子さんが綺麗すぎて綺麗すぎて、つい見ちゃってただけだよ僕

別に西遊記面白いとかあんまり思ったことも(以下略

 

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うーん、美人薄命すぎるよなあ