記録は取れ
僕、誰でも彼でも記録をとりなさい、その記録はオープン(ブログ)にしなさいと、おせっかいにも勧めてるんですが、なんでそんなことを言われないといけないのかと思った人もいるかもしれないが、じゃああなたのその思考や行動が後年の研究対象になった時に行動指針やその時の感情までが書かれてる記録が詳細にあれば、容易に根本まで掘り下げることができて、当人の意図としない変な想像をされる心配もなくなるじゃないか。
暗号通貨勢の記録にしても投資手法にしても、お恐らくこの中から研究対象になる人が出るかもしれない(出ない確率ももちろんありますけど)ですし、なぜそういう行動をとったのかというのは一人だけを追うよりも広範囲のサンプリングとなる記録は多ければ多い方が考察するほうは尖ったものができます。
ブログはアカウントを消せば抹消されてしまうかというと、サルベージする方法などもありますし、怖いのは意図しない想像をされるというおもちゃにならないで済むのは実生活においても係累を巻き込まないでおく保障保険的意味合いも持っている。
思ったことはないでしょうか
「なんでそんなことを言われないといけないのか」
それは違う。記録がないから言われるだけです。
この人はこういう人だと記録を出しておいて思わせておけば、少なくとも反論は「記録を見てね」で済むんです。
わざわざTwitterで言った言わないの不毛な時間と文字の浪費をするくらいなら、原典を残しておけよバカと思うのは僕だけではないはず。
そういう無駄やり取りをする時間を使うのなら、何を見てどう思って何をしたかと記録は取りましょう。
(ブログ・・ブログが読みたいんだ